あるアニメ作品内にて「パロディ」が用いられている場合、

A.単なる断片としてのパロディ。作品外部からの召還。(引用ではない)
B.演出上、効果を発揮することを期待してのパロディ。引用。作品内部との融合を図る。

一般的にAは安直だと言われるため、どちらかといえばBの方が評価は高いだろう。


で、山本寛(通称・ヤマカン)が多用するのは「B」だと思っている。
(ふもっふの生徒会長の扇子、朝比奈みくるの冒険、ハルヒライブアライブ回における、リンダリンダリンダへのオマージュ)


その一方で、シャフトが多用するのはA。
ぱにぽににおける黒板のラクガキ。ひだまりのTV番組の内容、部屋の小物)


もちろん、ここで「多用している」というのは、単なる直感的な値であって、
実際は違うかもしれない。これは、実際に数えてみれば明らかになることだ。
批評に実用的な統計を持ち込むことも必要だろう。


また「多用している」ということは「それのみを用いる」ということでは、もちろんない。
ヤマカンであろうが新房監督であろうが、Aのつもりで使えば、Bのつもりで使うこともあるだろう。


ヤマカンが安直なパロディをしていないかと言えば、している。
特に「かんなぎ」では、Aタイプのパロディが多かった。(シャフト風アイキャッチ、行列やコスプレ喫茶における有名アニメ監督ネタ、ライフアフター、他)


ダンスOP(いや、あれはダンスではない。振り付けだ。故にマンネリではない。進化している)、第1話における「羞恥心ロゴのTシャツ」や「たいやき」ネタは、Bだと思う。あれは、単なる外部からの借り物ネタに終わっていない。なんだかんだ言って、かんなぎ第1話はよかった。最終話の「ケツ出し」だって、原作のとおりと言えばそうなので、批判される覚えはないと思う。あれを批判するのは、見当違いもいいところだ。吉岡忍が演出を担当した「カラオケ回」の「らき☆すた」ネタも、Bに該当する。吉岡忍は、らき☆すたの時にかなりいい仕事をしていた。要注目の演出家だ。OPのママはアイドルネタも、彼のアイディアだったような(たしか、キャラメルインタビュー


それはさておき。アニメ「かんなぎ」は、わたし個人として、なにか物足りなさが残ったことを覚えている。
演出家・山本寛の魅力は、Bタイプのパロディによって担当話エピソードや登場人物たちに、新たな魅力を与えるところにあると思うので、「かんなぎ」において、Aが多かったのは、ちょっと惜しいなどと考えている。


最近では、演出・絵コンテを担当した「ケメコデラックス!第2話」がパロディの宝庫(だんご大家族のくだりは、古巣ネタ&自虐ネタ&登場人物の心理描写を同時に表現するという、かなり高度なパロディだ。出来そうで、出来ない)だったわけだが、あれも、B(演出上、効果を発揮することを期待してのパロディ)であって、文句をいわれる筋合いはないと思う。


【結論】
山本寛の演出を語るなら、まずは過去作品のパロディに的をしぼって徹底的に抽出し、それら個々のパロディが、その作品、担当話において、どのような役割を果たしているかを明らかにするべき。わたしもやるので、誰か他のひともやってください。1人じゃ無理。みんなで協力してやりましょう。