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PCを「窓の手」や「レジストリ関連ソフト」を使って最適化やカスタマイズするように、
アニメ作品も、余計な部分をそぎ落とすことにより「最適化」できないものだろうか?
小説や映画やアニメの感想を書くときに、
自分が考えるに、あのシーンは、ああではなく、こうした方が良くなる。
と、勝手に提案したくなる時があるが、無意味だ。
もしも、対象となるアニメを自分が最良とする形に作り替えたい場合、
アニメの性質上は「削る」しかない。
(制作者以外の第3者が不自然ではない形での改変することは100%不可能)
つまり、再編集することで、そのアニメを優れたものに作り替える。
ここでいう「優れた」というのは「わかりやすく」「受け手の理解をより深める」という意味。
アニメの再編集=MADという行為自体が、批評になりうる。
MADの批評性に関しては、改めて言うまでもない。
山本寛 TVアニメ「かんなぎ」に関して言えば、
余計な部分を再編集し、さらに「わかりやすく」することで、
本来の価値が明らかになるはずだ。
TVアニメ「かんなぎ」は、完成度が高い(箇所が多い)
しかし、放映された映像は、無駄が多い。(監督の域に達しましたとか、あれはイラネかもしれない)
多くの視聴者に、誤った印象委(退屈な印象)を与えてしまった。
おいしいところだけ集めて、うまく繋げば、万人がその真価を理解できるようになるはずだ。
たとえば、100分程度の劇場版っぽくするとか。
突然はじまった仁とナギの共同生活シーンだけを、うまく編集したものも観てみたい。
アニメ「かんなぎ」で特筆すべきシーンがあるとすれば、
そのほとんどが「御厨家の日常シーン」だと思っている。
もっと大枠でとらえるなら「密室」シーン。御厨家(押し入れ回含む)、カラオケ。
ロリっ子キューティーも、もっと見たいと思った。
コンニャク魔法ステッキ=レイジングハート(笑)とか、面白すぎる。
批評MAD、またはチューニング批評とでも名付けようか。
その映像の面白さを最大限伝えようとするならば、
文字ではなく、映像自身で説明したほうが理解しやすいし、とっつきやすい。
25分×13話程度のものを、2時間弱にうまく納めることが出来れば……あるいは。